古賀雄二郎 直前リポート
一年半ぶりの古賀雄二郎さんの個展です。
古賀さんと花田の付き合いは25年に及びますが、
その間に人々の食習慣や生活環境は色々と変わりました。
古賀さんもその流れに逆らうことなく寄り添うように、仕事を進めてきました。
当初から「使えるもの」を作りたい思いで仕事に取り組む古賀さんにとっては、自然の流れです。
古賀さんのうつわについて、誤解を恐れず一言で表せば、普通のつちものです。
驚くような目新しさはないかもしれません。
食卓にさりげなく存在し、他のうつわの中に嵌り込むように同調してしまう。
ただ、それが抜群に使いやすく、洒落てはいるが気取ってはおらず、清潔感に溢れる。
そして、使っているうちにしみじみと愛着を抱かせるうつわ。
時が経てばたつほど、そのありがたみを実感させ、手放せなくなるうつわ。
それが、古賀さんがおよそ30年にわたって作り続けているうつわです。
古賀さんは何でも自分で作ります。
愛知県作手の工房、自宅も自作です。
いつか、建築技術をどこで身につけたのか尋ねると、
「小さい頃から、工事現場へ行って職人の人達の仕事を見ていたんです」と言われ、
「それだけですか?」と僕が驚くと、
「見ていれば、大体基本になる部分というのは分かるじゃないですか」
と平然としていたことがあります。
これは、古賀さんが骨董などと向き合う時に、僕が感じていたことへの答えでもありました。
まず僕が骨董を取り出すと、古賀さんはそれをじっと見ます。
しばらくすると「持って帰ってもらって大丈夫です。分かったと思うので」と言い、
言い訳のように「一応写真を撮らせてもらってもいいですか」などと言って終わってしまいます。
その後「この間のキュノアールを参考にして作ったんですよ」と説明の上、
作ったものを見せてもらうと、確かにそうなのです。
そのものが持つ良い雰囲気が、古賀さんのうつわに素直に吹き込まれているのです。
それは、古賀さんの持つ独特の感性、感覚に驚かされる瞬間でもあります。
さて、来週から始まる個展に向けて古賀さんが準備してくれた新作を目の前にした時、
驚きや喜びともちがう、何かしみじみとこみ上げてくるものがありました。
肩肘張って我流を押し出してきたわけでもない古賀さんの陶芸人生の、
見えない中心軸みたいなものを感じたからでしょうか。
材料やかたちといった装いに勿論新鮮さは加わりましたが、
古賀さんがうつわに対して思い描くものは変わっていません。
3度目の古賀雄二郎展。
愛着のうつわに、心がはずみます。