花岡隆×余宮隆インタビュー
2015年11月18日(水)からはじまる二人展に向けて
花岡隆さんと余宮隆さん、初めての顔合わせがありました。
以前から、お互いの作風に尊敬の念を持たれていたお二人。
お話の内容は初めてとは思えないようなものになりました。
修善寺の花岡さんの工房へ伺い、語り合った充実の時間
気骨ある二人の作者のインタビューを、2週に渡ってお届け致します。
第1話・・・音楽の余韻のようなものを求めたい(11/11公開)
第2話・・・自分の歌は自分で歌おう(11/18公開)
健康であること。健全であること。
花岡:やきもの屋は、体が資本。
どんなに才能があっても、体が動かなかったらそれまでだし。
ちゃんと長生きした作家はそれなりにモノを残していると思う。
余宮:健康第一。俺もやっと最近気が付きました。
花岡:絵描きなんかだと長谷川利行さんみたいな生き方した人もいるけど、
焼き物をやる人間にああいう生き方はできない。
人間の寿命なんて分からないけど、体動かしているうちは
支障なく体を動かしていたいなって思う。
花田:花岡さんは自転車なり、フィットネス通うなり、
仕事以外でも常に体を動かしている印象があります。
心がけているのですか。(以下花田-)
花岡:特に運動好きなわけじゃないけど、
やっていないと頭の中が固まっちゃうような気がする。
余宮:すっきりしますか。
花岡:うん、なにも考えないで済むからね。
特にゴール目指して自転車こいでいる時は・・・
一応ね、走り出した時は帰ったらまた仕事しなきゃ・・・くらいの、
それっぽいことは考えているんだ。
しばらくするとそんなことも忘れてしまう。
-:フォーカス。
自分を追い込むことに慣れると、気持ち良いというか、
精神的な充足を感じるものでしょうか。
花岡:特に自転車は、あの”こぐ”という単純な行為に全てを注ぎこめる。
そして、あの気持ち悪い格好しちゃうとね(笑)、
社長もお医者さんもお坊さんも先生もみんな一緒だから。
-:自転車のレースに参加するため、色々なところへ行かれていますよね?
花岡:うん。特に、島根県は好きな場所。
きれいだよ。日本昔話みたいでね。
石見銀山周りの大会なんて、ひたすら林道走って、
その先に集落があったりする。
200キロ、ひたすら坂を上る感じ(笑)。
余宮:山陽道やフラットだけど中国道は山道ですよね。
大変でしょう。
花岡:島根は、石州瓦の家が続いてねえ。いい雰囲気なんだ。
そうそう、それと島根の土も、使いやすい。
昔ながらのたんぼの水肥みたいな方法で作っているところもあって。
この間二t車で走って買ってきたよ。自転車積んでね。
-:粘土と競技用自転車が積まれているトラック、
あまり見る組み合わせじゃないですね(笑)。
余宮:やきもの盛んなのかな、あの場所。
花岡:昔から甕を良く作っていて、
昔の窯見ると5-6リューベくらいあるね。
余宮:すごいですね、僕の仕事場より広いかも。
花岡:そういう土の上に来待釉なんかかけるんだろうけど、
よく水が止まるんだろうね。
カメとしても優れているんじゃないかな。
「一生懸命なら、必ず振り向いてくれる人はいる」
余宮:運動していないときは仕事のことばかり考えていますか。
花岡:まあ、そうだね。
最近は完全に朝型で、夕方になるとジム行っちゃうんですけどね。
最近、夜の仕事したくなくて。
人口光線の下でする仕事は最近しっくりこなくなっている。
次の朝見ると、うまくいってないことが多くて。
余宮さんも今、忙しいでしょう。
こんな言い方、嫌だろうけど、いわゆる売れっ子でしょ(笑)。
余宮:どうなんでしょうか・・・2年前くらいはフル回転で
「俺倒れちゃうな、このままだと」って本気で思いました。
-:花岡さんもそういう時期を経て、今があるわけですよね。
花岡:今から、12、3年前くらいかな。
余宮:良く雑誌で拝見していました。
花岡:東京から近かったこともあって、よく取材に来てくれました。
大体、黒田泰三さんとセットで来てくれるんだよ、みんな。
まあそんな時でも、旅行にはよく行っていた。
余宮:自分は、もしそんな中にいたら、旅行なんて思いつかない。
もう死に物狂いでまわり見えなくなると思います。
花岡:そういう時も必要だし、妙に余裕持っているより、
よっぽど健全だよ。弟子たちにも言っている。
とりあえず、徹底的に仕事しろ。
そうやって一生懸命やっていれば、必ず振り向いてくれる人はいる。
本当の限界まで追い込まれて、やっと自分が出てくるしね。
そして、そこまでやって生まれるものは、必ず誰かの心を打つ。
ただ一方で、ずっと言われたものを言われるがままに作っているだけだと、
ある時限界も感じ始める。
何も考えずに来る日も来る日も、例えば面取を引いていると
「あれ、なんのために、もの作り始めたんだっけ」ってなる。
もう本当に嫌になったときがあって、
若気の至りで、一度仕事を断ったことがあるんだ。
そしたらほんとにピタッと仕事が来なくなった。
一同:大笑い
余宮:それが怖くて普通はみんな断らないんですけどね。
花岡さんはそれをやってしまった。
花岡:注文来なければ来ないで寂しいんだよ(笑)。
それまでは量が多すぎるって文句言っていたくせに。
-:好きで始めた仕事であるからこその葛藤ですね。
花岡:ひたすら仕事だったし、それと共に、
ある部分で自分自身の限界を感じながら、
いろいろ考え始めていた時でもあったから。
余宮:誰も経験したことの無いような数量を作っていたのでしょうね。
花岡:普通の職人さんにとっては当たり前の量ですよ。
-:中里さんのところも、すごかったのでは。
余宮:ええ、大体作るものは100単位でした。
でもそれは、花岡さんの追い込まれ方とは種類が違う。
その時の僕は作るだけですから。
花岡さんの精神の追われ方ってのは、当時の僕には無い。
断るってのはよっぽどですよ。
花岡:これ続けているとやばいな、と思った。
あと何個作れば終わる、としか考えなくなってしまった。
「花岡さんのものを見たとき、すごくショックでした」
花岡:そんな中、一元堂の臼井さんが、この仕事続けなよ、って言ってくれて。
そのうち、家庭料理ブームにもなってきてね。
時代が変わりつつあった。
-:世の中が、日々の暮らしのベースの部分に目を向け始めた頃ですね。
余宮:一気に変わりました。
花岡:僕の感覚も変わってきた。
白、黒シリーズも始めた。
もともと李朝や新羅のものが好きだったし。
ただ、ああいうものをダイレクトにではなく、
表現したいのはあれらが持っている雰囲気だけど。
余宮:花岡さんのうつわにはシャープさを感じました。
花岡:シャープかどうかはわからないけど・・・
富本憲吉さんも言っているけど、そこから伸びていく感じっていうのかな、
音楽と一緒で余韻のようなものを私は焼き物に求めていた。
余宮:僕らの世代は花岡さんのシャープさ、影響受けていますよ。
言葉は悪いかもしれないけど、それまで受け入れられていた
野暮ったいものに、完全に取って代わってしまったな、という印象でした。
花岡:うん、でもぼてっとした力強いうつわも、僕好きですよ、今でも。
余宮:ただ、僕に作れないだけか(笑)。
-:今の住宅、建築や食文化にあわないってことはあると思います。
テーブルにも。
花岡:八木一夫さんのうつわにも影響受けた。
余宮:八木さんの粉引、きれいですよね。
花岡:いい作家はうつわ作ってもいいよね。
岡部嶺男さんの湯呑も素晴らしい。
失礼な言い方になるかもしれないけど、いい刺激材料になりました。
-:そう、花岡さんはいろいろなところからの影響をお話しされるけど、
あくまで刺激材料なんですよね。
それがもろには出てこない。
コピーにはならず、うまく自分のものにしている気がする。
花岡:~風なのは嫌だな。
流行りモノって、この世界にもある。
その時その時でどこ行っても目にするスタイルや雰囲気ってあるじゃないですか。
~風が目立つような流れに対する反抗心みたいなものは当時から持っていた。
余宮:そういう先輩たちの気持ちだけは少なくとも持っていたいな。
もの作りのモチベーションとしても重要だと思います。
-:引き継ぐものは型やスタイルではなくスピリットであると。
あまり、売れるスタイルを追いすぎても、
外部環境や全体の傾向に依存した仕事しか出来なくなってしまう。
パクってるとか、あの人の真似だとか言われるのもつまらないし。
売れているものを追いかけ続けるのは、しんどくないですかね。
余宮:売れそうとか、誰々っぽいなとかって
頭に浮かんだ時点で頭から消しますもん。
でも使う人が喜んでくれないといけないから、そのへんのバランスは難しい。
-:現在、これだけ粉引の食器が普及しているのは、
花岡さんの功績も大きいと思います。
余宮:白いうつわがカジュアルになってきたのが花岡さんの頃から。
それ以前は、食器における表現方法というのは、
装飾、力強さ、味わいみたいなものに
集約されていたような気がします、傾向としてですね。
シンプル或いはシャープで、おしゃれなものを家に持ち込んで使う、
ということを教えてくれたのが花岡さんでした。
カジュアルに使うというか。
-:そう、新たな切り口が登場してきたんだと思います。
格好いい!おしゃれ!楽しい!って。
洋服を選ぶような感覚で。
和食器のイメージが変わってきた頃じゃないですか。
食文化も大きく切り替わってきたころだったし。
花岡:シンプルなものをもともと目指していたし。
例えば仁清なんかも、絵の無いほうが好きなんだ。
-:去年でしたか、出光でも白釉や錆絵も随分出展されていましたね。
さて、余宮さんが花岡さんのうつわを初めて見たとき、
どんな印象をもたれましたか。
余宮:僕が焼き物を始めた頃って、隆太窯でも高価なものが
ポンポン動いていて・・・そういうところからこの世界に入っていったわけです。
だから最初花岡さんのものを見たとき、凄くショックでしたよ。
なんなんだろう、って。
最初、考えちゃいましたもん。
今までとはなにか違うことが動き始めているって。衝撃でした。
やきものってデパートで買うものだと思っていましたから。
目標はみんな百貨店の美術画廊、という。
花岡:実は僕も、番浦さんのところにいたときには
やきものを別世界に感じていた。
でも、そのあと、産地の工房やなんかで仕事をした時に、
別の世界も見ることになり・・・
それまでは一生懸命、先生のことをなぞろうとしていたけど、
そこから解放された。
ただ、解放されてもそのあと、どうしていいかわからなかった(笑)。
余宮:そういう意味では、僕らの時代はもうレールが引いてあって、
明日から「作家になります」って言えばなれちゃう時代。
当時は産地を飛び出して個人でやっていこう、
という発想を持ちづらい環境ですよね。
一方、我々は職業として個人作家を選んだ世代なんです。
最初から独立しようと思って学校も行くし、弟子入りもする。
-:今は職業の選択肢として確立していますよね。
花岡:もちろん僕らの時代にもなかったわけじゃないけどね。
大学に陶芸科が出来始めた頃で、
職人候補生とか窯元の二代目三代目がいた。
親戚のおじさんが焼き物やでそのおじさんに息子がいないとかね(笑)。
-:花岡さんが仕事始めた頃、
まだ生まれていない世代も活躍し始めました。
花岡:ある若い陶芸家には「母が使っていました」って言われた(笑)。
余宮:花岡さんは時代を作られた方たちの一人だと思います。
花岡:僕らが作ったというよりは、
たまたま僕たちがそういう時代に生まれて、
活かされることができたってことだと思うよ。
僕が始めた時は職人のものか鑑賞陶器やお茶道具
という選択肢くらいしかなかったから。
普通の、普段使えるものは少なかった。
余宮:唐津にいてやきものってこういうものだ、って
考えていたことが良い意味で覆されました。
なんか自分の行先が開けた気がして、夢がもてました。
-:こうじゃなきゃだめだ。
こうあるべきだって教えられているところから、
これでいいんだ、っていう見方に変わる。
花岡:当時の世の中の流れには逆らっていたのかもしれない。
余宮:人間国宝じゃなくて、 花岡さんみたいな人たちが急に雑誌で始めたんですからね。
次週に続きます。
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