長くて短い36年間
花田:36年間、お疲れさまでした。(以下花田-)
藤塚:長かったです。というか・・・、短かった。
まあ、良かったんじゃないですかね。無事にここまでやってこられましたから。
始めた頃は「年を取る」なんていう概念がなかったけど、当然ながら体力は衰えていくものです。
-:「好きなことを仕事に」というのは皆が出来ることではありません。
藤塚さんは、本当に好きなこと、好きなものに関わってこられました。
藤塚:運が良かったんです。タイミングも良かったし、出会いにも恵まれました。
-:出会い・・・。
藤塚:本当に色々な人に助けてきてもらいました。刺激も受けたし。
-:まずは秦秀雄さんの出会いが、焼き物との接点となりました。
藤塚:最初は秦さんですね。で、青窯行って、金沢でも色々な人に出会って、助けてもらった。
京都に戻ってきてからも、沢山。美術館や骨董屋さんに、自分では手に入れられないような物も色々見せてもらいました。
-:藤塚さんの人付き合いの仕方は、とても丁寧ですし、一方的に藤塚さんが与えられていたわけでもないのだろうなと想像します。
藤塚:色々あるから、一言ではなかなか言えませんよね。
-:印象深いことも色々あったのでしょうね。
藤塚:思い出そうとすると、出てくるのは、くだらないことばかりですよ(笑)。酒飲んで羽目外したり無茶したり・・・そんなことばかり。
-: そういう記憶こそが、思い出や現在を楽しくしているのでしょうね。
藤塚:面白い話、いっぱいありますよ。青窯の時なんて、いくらでもある(笑)。
-:みんな喧嘩もするけど、仲もいいのですね。
藤塚:そうそう、なんかね。変な団体でしたよ。
-:京都から来て、驚かれたのではないですか。
藤塚:最初の頃はね。感覚が、学生の時とは全然違うし、青窯の場合は「私が世界の中心です」という人ばかり(笑)。
めちゃくちゃですよ。
-: 鍛えられますね。
藤塚:そのうち慣れてきますから(笑)。対処の仕方も分かってくるし、そのうち気の合う仲間もできてくる。
-:九谷青窯は、普段使いのうつわの新たなかたちを提示した功労者でもあります。
藤塚:焼き物のことは全く知らなかったから、食器に関しての基本的なことは、青窯で学びました。
そういう意味では、秦耀一さんも教師でした。
-:藤塚さんは、若い作家さんとのお付き合いも、大事にされてきました。
藤塚:やっぱりね、エネルギーですよ。創作力にしても「負けたらあかんな」と思わせてくれます。
気付いて、受け入れ始めて
-:藤塚さんは初期伊万里をベースにしたうつわ作りに取り組まれてきました。
藤塚: 若い時って、自分でゼロから生み出そうとしますよね。
何とかして、他人がやらないことを自分で作りだそうとするじゃないですか。
でも所詮、そういうことができる天才なんて、ごく僅かしかいない。
ほとんどの人間が凡才なわけで、それに気がつくと、素直に自分以外のものも受け入れられるようになります。
自分で作っていると、骨董の見え方も違ってきますしね。
「なぜこんなにも、自分はこの器に惹かれるんだろう」という問いかけから、器の良さを自分なりに理解できるようになっていって、形になってくる。
「自分だけで、何か作ってやろう」とすると、全然違う方向に行ってしまっているのでしょうね。
そういう気持ちも確かに大切なのだろうけど、昔から現代に至るまで、みんな「何かを真似ては、そこで勉強して」ということを続けていく中で自分が出てくる・・・みたいなのがあるじゃないですか。
ただ、そういうことは、頭の中では理解しているつもりでも、本当に自分の中でしっくりくるには時間がかかりますよね。
作り続けて
-:いくつか器について。独立して、1番最初に作ったうつわは・・・。
藤塚: 印判の鉢とお皿です。東南アジアの古い半磁器を参考にした記憶があります。
-:アイコンのような存在ですね。
藤塚:これも、古いです。菊花文なます皿で、ほとんど写しだったと思います。
骨董を写そうにも、特に最初は現物を高くて買えないでしょう。だから、とにかく本を集めました。
古本屋さんに通ったし、美術館の図録も、写真が綺麗な上に手頃だから最高です。
それだから、東京で展示会やる時は必ず展示会後3、4日残って、美術館を巡っていました。
-:こちらは最近のものです。新鮮な雰囲気ですね。
藤塚:この波がもっと白くはっきり出るつもりでした。
-:花と鳥の大小関係が面白いです。向こうに鳥が飛んでいるような感じ。
藤塚:これは完全に創作ですが、椿をここに描いて、鳥を入れても面白いかなと思って。これは、うさぎ。
-:藤塚さんのダミはふんわり優しい感じですね。
藤塚:うん、濃淡があって柔らかい感じでやりたいなと思っています。
小ぎれいにやり過ぎてピタっとしちゃう感覚があまり好きじゃなくてね。
-: 藤塚さんと言えば白磁の仕事も魅力でした。
藤塚:李朝のものも好きでしたから。あと、デルフトの皿も模しました。
デルフトは、そのままだと普段使いに向かなそうだったので、高台の幅を広げました。
-:これも定番中の定番ですね。
藤塚:こういう形が鼠志野にあって、それを白磁で作りました。
独立の頃から作っています。
-:「どの作家さんか分からないんだけど・・・あの時見た、あの器が欲しいんです」というお客様からのお問い合わせが多いのも藤塚さんです。
藤塚さんにはフアンの方も多い一方、うつわそのものを熱心に求められている方も多いという表れだと思います。
この輪花5.5寸鉢は特に問い合わせの多いうつわでした。
藤塚:それも独立当時からですね。これは菊花と流水うさぎ文。
感謝、そして続けること
-:閉窯にあたってメッセージをいただけますか。
まずは、お客様へ。
藤塚:感謝しかありません。
昔からずっとの人も多いし、友人のようになった人もいます。
重ね重ね、感謝しかありません。
-:これから焼き物を志す人や、これから頑張ろうという20代や30代 の若手の方々に向けて、何かありますか。
藤塚:大したことは言えませんよ(笑)。
「継続は力なり」で続けることが1番でしょうね。
僕は食器屋を通してきましたが、色々なやり方がありますから。自分に合うものや方法が見つかるといいと思います。
人によって観点も違うし、一概にどうのこうのって言えないですね。
とにかく続けてくださいってことです。
-:巣立っていったお弟子さんたちも、活躍されています。
皆さん、いつも藤塚さんの面倒見の良さと感謝の気持ちをお話しされます。
藤塚:皆がそれぞれ、自分の色を出しながら、頑張り続けていますよね。それはまず、すごいことだと思います。
SNSなんかで、みんなの仕事を見ていても「うまくなったな」とか「こんなことも始めたんだ」とかって感心することもあるし、逆に「これ、どうやってやったんだろう」って聞きたくなる時もある(笑)。
-:そして最後に、奥様のサポートもかけがえのないものでした。
藤塚:いやあ、本当によく、ここまで付き合ってくれました。
妻がいなければ、ここまで続けてこられなかったでしょうね。