松葉勇輝さん 作者インタビュー2024


花田:焼き物との出会いはいつですか。(以下花田-)

松葉:高校時代です。
大阪市内のそこそこの進学校に進んだのですが、僕は「田舎から勉強頑張って、この学校に入りました」という感じで、音楽も好きだったしおしゃれもしたかったので、自転車通学ではなく、遠くても定期券持って大阪市内に通いたかった。
だけど他の生徒は、「家から近いから」みたいな理由で来ているのが多くて、余裕な感じなんです(笑)。
しかも、当時珍しく私服の高校だったのですが、入学時点で既におしゃれで格好いいやつらがいっぱいいるんです。田舎の僕にはちょっとした衝撃でした。
1年の時に音楽が好きという共通点ですごく仲良くなった友達がいて、一緒にバイトして買ったCDを交換したり、服を買いに行ったりライブに行ったり・・・。
今でも交流がある一生の親友ができました。
音楽や町の文化にのめり込んでいった時期です。

松葉勇輝さん作者インタビュー2024

-:どのような音楽が好きだったのですか。

松葉:パンクやハードコア・・・。当時、ハードコア、ラップ、ヒップホップあたりがクロスオーバーするミクスチャーが流行っていて。
「重くて速くてダークだけど格好いい」ばかり追いかけていました。

-:80年代MTVあたりのキラキラが落ち着いてきた頃ですね。

松葉:1年の時にサマーソニックが始まりました。ヘッドライナーもそういったバンドばかりでした。
まわりは熱くなっていて「サマソニ行った」みたいな感じで・・・。
中には「音楽やりたいから学校やめるわ」と言って、アメリカに行ってしまう子らもいました。「え、学校って途中でやめるものなの?」ってカルチャーショックでした。

-:そういう環境なら「焼き物を好きだから、焼き物やろう」と願うことが、しやすいですね。

松葉:そうですね。高校までは、決められたレールに乗ってきていたけれども、良くも悪くもパッとそのレールからおりた人をたくさん見ました。

松葉勇輝さん作者インタビュー2024

-:そんな中で焼き物とも出会うわけです。

松葉:友達の1人が3年の時に美大のオープンキャンパスに誘ってくれて、そこでの授業体験に陶芸を選んだことがきっかけです。
そこで「ロクロ上手やね、君」なんて教授が褒めて盛り上げてくれる。こっちも乗ってくるじゃないですか。
そういう言葉も後押ししてくれたと思います。その学校は受けていないですけど。

-:(笑)

松葉勇輝さん作者インタビュー2024

松葉:そして、親に「芸大に行きたい」と相談をしたら、全否定でした。
「勉強しなさい」で来ている親なので、美術系の大学という発想が持ちづらかったのだと思います。
「それなら奨学金を取ってでも自分の力で行け」という親でもないし、僕も「なんとか考えて自分の力で行くよ」という子でもない。
よく考えると美大に行く人って画塾に行ったりしてすでにスタートしているんですよね。甘かったです。
その場ではあっさり引きましたが、よくよく考えてみると、総合大学にも美術学科がありますよね。
美大にくらべれば、親も反対しないし、学費も安い。
なので、文芸学部造形美術学科の陶芸コースに進学しました。

松葉勇輝さん作者インタビュー2024

-:陶芸コースでは、ずっと陶芸を学ぶのですか。

松葉:文芸学部なので他のこともやります。
そこで出会った美術系以外の先生たちが、また面白かったんです。
例えば、絵画の先生ではない哲学の先生が「僕は絵が好きだからずっと描いている」なんて言って、絵を描いていました。そういう先生の研究室に入り浸って・・・。

-:先生の部屋で何をしていたのですか。

松葉:ただ話をしに行っていました。「先生、週末にこんなところ行ってきました」とか。

-:グッド・ウィル・ハンティングじゃないですか・・・。

松葉勇輝さん作者インタビュー2024

松葉:その先生は60年代、70年代のロックが好きで、サイケデリック、プログレ、フォーク、Love & Peace全開で「愛するとはどういうことか」みたいなことを研究していた方です。
「僕はずっとフリーターでひもみたいな生活をしていたけど、教授になった。人生何があるかわからないよ」みたいなこと言っていました。
他には、文化人類学の先生は、よく昼飯連れていってくれました。
ヘビースモーカーで、どこ行ってもタバコ吸っている(笑)。学校のテラスでも、ファミレスでも・・・。
その先生はジャズがとても好きで、地震の時に家族より先にジャズのレコードを守ったらしく、今でも家族に言われるといって笑っていました。
とにかく「面白い人生」を優先しているような人たちでした。
全然期待していない状態でそういうことが起きていたので、すごく楽しかったです。

松葉勇輝さん作者インタビュー2024

-:卒業後はどうされたのですか。

松葉:就職活動に疑問もあり乗り遅れてしまって、卒業後は4年間、学生時代のバイト先のライブハウスで音響の仕事を続けていました。
ターニングポイントは、そのライブハウスのオーナーが焼物大好きだったことです。
その方はすごいミュージシャンで、勤めるまでライブハウスのオーナーもしているなんて事を知らなくて、びっくりしました。
やはり、自由な生き方をしている人で「陶芸の道なんか最高やん。絶対やったほうがいいよ」って後押ししてくれました。
京都の骨董屋さんに連れて行ってくれたり・・・、とにかく協力的でした。
今でも個展に来てくれます。恩人ですね・・・。もう、本当に恩人。
そのライブハウスはとても自由な場で、そこで出会った先輩スタッフやミュージシャンの方々にもどう生きるかみたいなことを教わった気がします。

松葉勇輝さん作者インタビュー2024

-:色々な人たちとの交流が松葉さんを後押ししてくれたのですね。
それらが後押しになってしまうのも、松葉さんのお人柄ゆえなんだと思います。

松葉:その後、京都の陶工訓練校に通って、猪飼祐一先生に弟子入り3年、そのあと試験場で釉薬の勉強をしました。
その後に独立したのですが、しばらくは京都の窯元や薪窯を焚くバイトをしていました。
そして、独立から約10年経ちます。

-:松葉さんにとって焼き物の魅力は何ですか。

松葉:自分は薪窯が好きだったり、古いものやへしゃげてるものなど、人工物である焼き物が時間や自然によってさらに磨かれるというようなところに美しさを感じます。
ただ、そういったものすべてが良いとは思わなくて、作りはどこか整っていて、ラインが美しいものが好きです。
例えば、中国や韓国の初期の土器なんかも、作りがピリッとしていて好きです。

松葉勇輝さん作者インタビュー2024 自分で作る時も同様に意識はしています。口作りはピンとして、凛としているというか・・・。
それと「これが俺の焼き物だ」というところまで我を出さなくても良いかなと思っていて、自分が作ったものを、自分で焼くのですが、炎に託す。
焼けた作品は大事に使ってもらいたいなと願いながら、人に託す。というような気持ちがあります。

松葉勇輝さん作者インタビュー2024

-:これからしていきたいことを教えてください。

松葉:自分が日々作っているこの感覚が海外の方々にどういう風に受け入れられるのか、興味があります。海外でももっと個展をしてみたいです。

-:海外はどのあたりですか。

松葉:欧米でしょうか。今でもアメリカやヨーロッパの音楽が好きですし。

-:生まれ育った土地で仕事を続け、それを憧れの地に伝えられたら素晴らしいですね。

松葉勇輝さん作者インタビュー2024

松葉:はい。あとは、先祖から受け継いだこの土地で、建物を潰さずに移設したり、植栽したりして自分が好きな風景を作っていきたいなと思っています。
敷地内にある手付かずの建物にも手を入れて、そこで制作したり、リラックスして音楽を聴いたり、お酒を飲んだりできるような空間にしたいです。
場の空気が変われば、作るものも変わってくるかもしれません。延長線上にあると思います。それも楽しみです。

松葉勇輝さん作者インタビュー2024

-:ご自宅も新しく建てられました。

松葉:今は新しい建物が廃工場の横にある感じです。
今すぐ全部を綺麗にするのは無理なので、自分ができる範囲で生活をアップデートしていくのが理想です。

-:展示会、宜しくお願いします。

松葉:花田さんは初めての場所なので、とてもワクワクしています。
その気持ちで作った時に、どんなものが出てくるか楽しみです。

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