始まりは漫画から
花田:中荒江さんは、どのようにしてうつわの世界に興味を持つようになったのですか。
(以下花田-)
中荒江:元々絵を描くのが好きで、ぼんやりとですが「絵を描く仕事をしたいな」と小学生の頃から思っていました。
-:どんな絵を描いていたのですか。
中荒江:漫画です。
一番好きなのは「ハンターハンター」。友達のお兄ちゃんに借りて夢中で読んでいました。
あとは、リボンなんかの少女漫画やギャグマンガ…。
-:ギャグマンガですか。楽しくていいですね。
中荒江:今でも描いています…。
-:本当ですか。それはどこかで見ることできるのでしょうか。
中荒江:ちょっと恥ずかしいのですが、インスタの「まるこめりん」という別アカウントです。
で、そろそろ進路を決なければならない頃「『絵を描く仕事』といっても色々あるからどうしよう」って思っていた時に、高校の職員室に置いてあった京都伝統工芸大学校のパンフレットが目に入ってきました。
そのパンフレットの陶芸科絵付コースの先輩の卒業作品写真を見て「こんなに細かく描けるようになるんだー」と思って目指したくなったのがきっかけです。
-:進学された伝統工芸大学校はいかがでしたか。
中荒江:同じものを好きな人が集まっているという状況が新鮮でした。
授業が全部好きなことだったので、毎日楽しかったです。
親方への感謝
-:卒業後はどうされたのですか?
中荒江:京都の抱山窯(当時)で1年ほど上絵を習いました。
予想していたより、仕事ができなかったのを覚えています。
当然ですが、学校と仕事では全く違いますね。
-:そして山本長左陶房へ。
中荒江:はい、4年ほど通っていました。
めちゃくちゃ厳しいというのは聞いていましたが、あそこを卒業された方々は皆さんとても上手くなっているので、ぜひそこで学びたいと思いました。
-:すんなり入門できたのですか。
中荒江:最初は「今年はもう枠無いよ」って言われていたのですが、京都から何度も何度も自分のデッサンをファックスして見てもらいました。
デッサンのために京都府立植物園にもよく行きました。
懐かしいですね。
-:熱意ですね。
中荒江:私は、ほとんど無理やり受け入れてもらえたんだと思います。
親方は情に厚い人で、今でも本当に感謝しています。
修羅場から表舞台へ
-:山本長左陶房での4年はいかがでしたか?
中荒江:最初は、よく叱られて、毎日泣きながら帰っていました(笑)。
私、最初は手がとても遅くて「そんなんじゃ仕事にならん」て。
横でストップウオッチ持って「はやくはやくはやく!」って…。
もう、手は震えるし、普段できることもできなくなってしまいます。
「丁寧に」は遅いことの言い訳にならないんですね。
あれがあって学生気分が完全に抜けました。
-:貴重な経験をされたのですね。
中荒江:私は問題児だったと思います(笑)。
「この仕事、自分に向いていると思うか」なんて迫られて、ほとんど泣きながら「分かりません」とかなんとか、取り敢えず答えた気がします。
-:修羅場ですね。
中荒江:もう何が何だか…(笑)。
でも半年くらい経ったら「山本長左と弟子たち展」というのがあって、親方は弟子たちの作品も出してくれるんです。
「私なんかが、出していいのかな」と思いながらも、自分のものを作りました。
そうしたら、すごく楽しいんです。
さらに、その展示会で出した作品を親方がほめてくれて…。
褒められたのはそれが初めてでしたが、それから変わってきた気がします。
-:まさに転換点ですね。
自分のものを作ることの楽しさも思い出すことができたわけです。
中荒江:自分のものといっても、学んだものを自分風にアレンジしたものなので、親方に学んだことは作品に出ていたと思います。
-:半年の鍛練を経て久しぶりに自分のものを作られた感触はどうでしたか。
中荒江:気づかないうちに多少は描けるようになっていたことに気が付きました。
まだまだではありましたけど。
-:出品したのはどのようなうつわだったのでしょうか。
中荒江:今でも描いている輪花の3寸豆皿でうさぎ3匹描いているものです。
染付で唐草が描いてあって。
-:もう一生の付き合いですね。
中荒江:はい(笑)。
-:いよいよ独立に向かうわけですが、辞めるときはどんな感じだったのですか?
中荒江:最初先生から「そろそろやな」って言われて。
あそこは成長したら出してくれるので、そう言われるということはちょっとは認めてもらえたようで、それは本当に嬉しかったです。
26歳の時に独立しました。
-:独立したら素地の調達もご自身でしなければなりません。
中荒江:素地師さんから買ったり、修行時代の同僚の友達に頼んだり…。
特にその友達は「私の趣味を分かってくれているな」って思います。
他の素地師さんもですけど、私のポイントを押さえて作ってくれているので、とてもありがたいです。
たまたま私が最後に絵付けをするので、私の名前の作品になってはいますが、実際はまさに共同作業です。
テンションが上がるもの
-:中荒江さんがうつわを作る上で大事にしていることは何ですか。
中荒江:親方も言っていたことですが、まとめて作りはしますが、一つ一つが違う人に渡るので、流れ作業にせず一つ一つを丁寧に作りたいと思っています。
実際のつくりに関しては「料理を盛って、どう見えるか」を大事にしています。
使う人が使っている時や洗っている時にテンションが上がるものです。
-:「好きな器は洗っていても楽しい」とよくお客様からも伺います。
濃の魅力
-:中荒江さんの仕事は染付と色絵です。
ポップなものとクラシックなもののバランスもとても良いですね。
中荒江:染付は作業としてもリズムよく楽しくて、勢いを表現できます。
色絵ではポップさを表現したいです。
あと、子供が生まれたこともあって、コミカルなのものが最近は増えました。
-:中荒江さんは濃(だみ)も魅力的です。
中荒江:修行時代はほとんど線描きで終わりました。
濃は一番難しいので、たまに手伝わせてもらっていた程度です。
地濃(じだみ)っていって全体的に濃を塗る感じが好きなんですけど「地濃のうつわってホントに料理に合うな」って思います。
あれ、結構難しくて、たまりすぎると黒くなるし、薄すぎるとそこだけ薄くなってしまう。
濃淡はあっても全体としてはまとまっていなくてはならないんです。
どちらにしても焼いてみないと出来は分からないので、恐れずたっぷり筆に絵具を含ませてやっています。
これからの話
-:これからしていきたいことはありますか。
中荒江:個人的には、一人で作業するのが好きなのですが、コロナ禍で、人に会えないと、逆に人恋しくなってきました。
自分でもお客さんと触れ合う場所が身近に欲しいなと思っていて、将来的には自分でちょっとした店でも出来ないかななんて思っています。
器に関しては、大きなものも作ってみたいなと思っていて。
-:どんなものですか。
中荒江:大きめの壺とか花器とかです、高さ30cmくらいの。現代風に染付で作りたいと思っています。
-:展示会、楽しみにしています。
中荒江:定番のものはもちろん、違う土を使って、アンティーク風の雰囲気を持ったぐい呑みや、新しい型で作るヒトデ型のお皿なんかも考えています。
-:それは楽しみです。よろしくお願いします。