祖父に連れられて
花田: 藤崎さんは、今の仕事にどう至ったのですか。(以下花田-)
藤崎: 実家の隣に住んでいた祖父が油絵画家でした。
無口な人だったので、話した記憶はあまりありませんが、例えば、花火なんかに連れて行ってもらうと、その花火の絵を一緒に描いたり…。そういうことは、よくありました。
科目も図工、家庭科、体育が好きでした。
-: なるほど。今の仕事はその三つがミックスした感じですね。
藤崎: そうです。で、そのままの流れで美術の高校に行きました。
そのころから、自分は平面より、立体のほうが相性いいことにも気が付きました。
出会い
-: 大学では何を専攻されていたのですか。
藤崎: 建築でしたが、図面を描くのが苦痛でして…(笑)。
3年生の企業実習では、同級生が建築事務所などを選ぶ中、僕は新潟の宮大工さんのところに泊まり込みで働きに行っていました。
-: いかがでしたか。
藤崎: 普通、宮大工さんて、住宅はあまりやろうとしないんですけど、その人は違いました。
そして最初に、量産の住宅を作っている工場にも連れて行ってくれて「どう思うかは君が自分で考えろ」と。
当時はその理由がよく分からなかったのですが、今は何となく感じることがあります。
大工さんといっても色々な仕事があるわけで、最初にその両極を見せたかったのかなあと。ご自身の領域でない部分も見せてくれた。
で、結局、僕は特注家具の仕事もしたし、工業製品の世界でも生きてきたし、今は作家としてやっているわけです。
僕がこれまで環境が変わってもあまり立ち止まらずに済んでいるのは、最初のそれのおかげだと感謝しています。その場その時で、自分が果たすべき役割を考える習慣はつきました。
-: 今の仕事につながるきっかけを与えてくれたのですね。
藤崎: はい。夜な夜な飲まされて…(笑)。
奈良薬師寺の修繕に関わった数十人の内の1人だったみたいで、その時の話も面白かったです。
建築というより、職人仕事に惹かれていった時期でもあります。
図面の情報量
-: 大学卒業後、特注家具屋さんに就職されます。
藤崎: 7年いました。「注文に対して、どうアプローチしていくのか」考えるのは楽しかったです。
注文で入ってくる図面の情報量って、たかがしれているんですよね。
それ以外の部分の作り方次第で、クオリティは大きく変わってきます。
僕のイメージとしては将棋に近くて、何手で詰めるかの勝負。
それがシンプルであるほど、しっかりとしたものになります。
イタリアミラノへ
-: その後ミラノへ。
藤崎: 7年いました。
-: ミラノを選ばれたのには理由があったのですか。
藤崎: 当時、北欧も家具は盛んだったと思うのですが、イタリアには華やかなイメージがあって、自分のキャラとは違うなと(笑)。
どうせなら自分に無いものがあるところに行きたいですから。
-: 20年くらい前ですよね。
当時のイタリアはどのような状況でしたか。
藤崎: 戦後活躍された巨匠と言われているデザイナーの人たちがまだ、活躍されていました。
戦前は、地中海近くなので、船の内装など華やかなものが主体だったようです。
まあ、とにかく言葉が分からない上に、気質が違うので、驚くことも多かったです。
-: 気質、違いましたか…。
藤崎: 本当にのんびりで…というか、テキトー(笑)。
キツいのはそういう人たちと日本企業の間に入った時です。テンションが全然違う…。
ある家具の見本市では、行き違いがあるといけないので、図面にも全部細かく内容を書いて指示しました。そうしたら「そんなに細かい指示は要らない。俺に任せておけ」と言いながら、当日全然できていなくて、質すと「そんな話は聞いていない」という(笑)。
見本市が始まっても、壁を塗っていますからね。
-: 気にしていて、内心急いでいるのではありませんか。
藤崎: 気にしていたら、作業中に何度もコーヒー飲みに行かないと思います(笑)。
イタリア、北欧、日本…
-: 仕事の質はどうですか。
藤崎: 平均値は日本人のほうが断然高いですが、1%の大天才がいるのがイタリアです。
そして、優れた人たちは「考える力」がすごいです。
-: 考える力…。
藤崎: 僕がお手伝いさせていただいたデザイナーのエンツォ・マーリさんは「『労働者にいかに付加価値をつけて、その生活を底上げするか』がデザイナーの役目である」という思想を持っていた人でした。
-: エンツォ・マーリさんとは、どういった関わりだったのですか。
藤崎: 僕はエンツォさんのリクエストを聞きながら、横で試作品を作る仕事をしていました。
でも、途中からのこぎり取られちゃうんです(笑)。
-: 同じデザイナーでも国柄が出ますね。
藤崎: 例えば、北欧は何度か行きましたが、まじめで日本に近い印象です。
デザイナーもきちんと作り方を知っていなければならなくて、家具工場でしばらく働いた人たちがデザイナーになっていくと伺いました。とても誠実なもの作りだと思います。
でも、イタリアでは作り方をどうとか細かい事を気にせず、デザインを始めるよう感じます。
それはそれで、作り手とコミュニケーションを取りながら、いいものにしていくという道筋があるんですね。そういう意味では天才を生む国の土壌なのかもしれません。
そして、イタリアのデザイナーたちは議論好き。
夜な夜な、それぞれの哲学を語り合っています。そもそも論を。
場合によっては「デザインしないことこそデザイン」みたいな勢いです。
技術、材料、感謝
-: 仕事をしている上で、藤崎さんが大事にしていることを教えて下さい。
藤崎: 技術は追求していきたいです。
新しい技術、忘れられた古い技術も常に探しています。自分のスキルも、道具も両方です。
昔は入手困難だった海外のものや、専門的なものも今は簡単に手に入れることができます。
いい時代です。
-: 新しい技術や道具は、従来の仕事に何かを加えてくれるという期待もありますね。
藤崎: できるものやかたちって、基本的には道具に由来します。
新しい技術が出てくると、ディテールも変わってくる。
結果、ものも変わってくるような感覚があります。
-: 材料も、普段から色々探されていますね。
藤崎: 市場に出てくる材料は安定していますが、魅力も平均化されているので、どれもほどほどなんです。
僕の今の仕事にとっては、木の個性も大事なので、自分で切ったり、丸太を手に入れたりすることも必要です。
地元の林業に従事されている方々には、とてもお世話になっています。
次の世代へ
-: 今後のことはどのように考えられていますか。
藤崎: 作ることはこれまで通り。
あとは、そろそろ次の世代のことは気になり始めました。
根性論だけだと、木工の世界はどんどん収縮していきます。
きちんと、価値のある仕事をして、お客様に納得いただいて、循環する仕組みを作る必要があります。どこかで我慢する人や損する人がいると、継続的にはもたないと思います。
そういう意味では、エンツォさんの理念に近いのかもしれませんね。
やっぱり影響受けているのかな…(笑)。
-: 有難うございました。
展示会、よろしくお願いします。
藤崎: よろしくお願いします。
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