「満ちたりた佇まい」
―焼き物作りの申し子―
イムサエムさんに久し振りにお目に掛って その晴れやかな笑顔を見た瞬間
私が抱いていた様々な不安は サッと消え去っていきました。
カンボジアから陶芸をより広くそして深く学ぶ為 来日して50年、
青年期から今日までそれは陶芸一筋の日々でした。
何と言っても陶芸は詰まるところ 肉体を駆使しての仕事に他なりません。
ある時は力を使い ある時は細やかな神経を手先に行き渡らせて
ひとつひとつのうつわを生み出していきます。
そのような中で イムさん特有の手を抜かない生真面目な仕事ぶりでは
元気そのものに見えても
長年の疲労が蓄積しているのではないかと密かに思っていました。
やはり 2、3年前から腕、肩、腰、足に変調を覚え始めていたのです。
騙し騙しで仕事を続けてきましたがここへ来て歩行すら辛くなり
イムさんにして 我慢も限界、
遂に 治療と休養のため6月から9月にかけて
仕事から離れざるを得なくなったのです。
昨年末の個展を終えて今年の10月まで約10ヶ月の間
今回の個展への準備は治療、休養の4ヶ月を挟んでのものでした。
例年よりはるかに短い準備期間
イムさんに無理をさせてしまったのではないか 体調は戻っているのか
そして 出品作は揃っているのだろうか
個展直前の訪問を前に私の胸には様々な思いや不安が交錯していました。
ご夫妻に招き入れられるままに見本場に入ってみると
10坪ほどのその部屋は目新しい魅力的なうつわで
埋め尽くされています。
その光景に圧倒され思わず「素晴らしい!」と声を発してしまうのでした。
イムさんの仕事で ここ2、3年顕著なことは
柔らかな筆致を駆使しての緻密な画風が多くなっていることです。
年輪を重ねてきた他の陶芸作者には押し並べて言えることですが
『老い』と対峙する中で有りがちな傾向として
目や手足の動きが思いのままにならなくなることから
生地の作りや絵筆の扱いが
どうしても 簡略化したものやラフなものになって仕舞いがちです。
時には 長年にわたり培った勘やスキルが働いて
粋で枯れた魅力を引き出すこともあるのですが…。
ところがどうして イムさんに限ってはラフどころか
滑らかな筆遣いで細部に至るまで描き切ります。
しかも 文様がうつわ全面を覆うのですから
イムさんならではの個性際立った奥深い味わいの作風が醸し出されてきます。
思い切って私はイムさんに尋ねます。
「最近の仕事ぶりを見ていると うつわ全面を覆った細やかな線描きや
文様が多いようですが何か特別の意識があるのですか」
イムさんは言われます。
「特に 意識はありません。
まず素焼きが終わった生地を手にして俯瞰してみます。
大きさや形からどんな文様が相応しいか構想を練ります。
そして モチーフはどんなものが良いのだろう。
鳥か 花か 果実か はたまた兎、栗鼠などの小動物か。
おおよその心積もりができると
絵筆を下ろし線描きで輪郭を決めます。
さあ いよいようつわに表情を描き込む時、
筆を運び始めるとイメージが次から次へと膨らんくるのです。
うつわだからここに間を作ろう、
うつわだからあっさりしたものにしなければという
作意は途中で決して起こってきません。
前々からやりたかったこと描きたかったものが
身体が覚えていて沸々と湧き出します。
毎朝 趣味で描いてる油絵を愉しむように
うつわの表面がキャンバスそのものになっています。
筆が自由気ままに勝手に遊んでいるようです。
気が付くと僕は身も心もうつわの中にいます。
そして 心に描いた楽しい細やかな文様が
うつわに映されているのです。」
話を聞きながら私は納得します。
イムサエムさんは天性の絵心と長い陶芸生活で培ったスキルが
バランス良く身体にそなわっている。
正に『焼き物作りの申し子』だ。
最後にイムさんはしみじみと語ってくれました。
「僕は 好きなことをやって 皆が喜んでくれるという幸せに包まれている」と。