普通の子ども
花田: もの作りは小さいときから好きだったのですか。(以下 花田-)
水垣: 普通に工作は好きでしたけど、特にその成績が良かったわけでもないし・・・
普通の子どもです。
母が書道をやっていたので、幼稚園のころからみっちり筆を持たされていたくらいです。
いつも墨の香りが漂う家でした。
-: お母様は、食を大事にされていたそうですね。
水垣: 料理はほぼ全て自分の手で作ってくれていました。
うつわは、磁器ばかりで、磁器が嫌いになってしまいましたが。
-: つちものはなかったのですね。
水垣: 母が益子の陶器市なんかに行くようになってからは、少しずつ・・・。
-: 益子にも連れて行ってもらったのですか?
水垣: 一緒に行ったけど、中学高校当時はうつわに興味がなかったので、なんとも・・・(笑)。
土器をのこぎりで切る
-: 高校卒業後はどうされたのですか?
水垣: 宮崎の大学で、農業の勉強をしていました。
-: 農業も色々な分野があるかと思います。
水垣: 最初は環境の勉強をしていたのですが、たまたま農業遺跡の研究室に行ったら、成分を見るために先輩が縄文土器をのこぎりで切っていたんです。
とても魅力的に見えて・・・。
「土器、切っていいんですか?」って聞いたら、先輩が「うん、いいの、いいの」って。
-: 水垣さんも、土器切りを始めたのですか。
水垣: わたしの学年の前でその調査が終わってしまったので、その代わり、鹿児島との県境の高速道路工事で出てきた遺跡調査で、一万年前くらいからの地層の土を取ってきて、それを、遠心分離機にかけて分析していました。
-: それはそれで・・・
水垣: 楽しかった。
だって、地面の下にピンク色の土があるなんて思わないじゃないですか。
で、調べていくと、ここにはススキが茂っていただろうとか、そういうことが分かるんです。
-: ピンク色の土?
水垣: 恐らくそれは、岐阜で取れるもぐさ土に似たようなものだっただろうな、って今思います。
-: 急に焼きものと接近し始めましたね。
色々な発見や驚きがあったのではないですか。
水垣: 大々的な・・・例えば、人骨が出てきてくれたらいいんだけど、一番メインの発見が「見てください!これ栗を焼いた跡ですよ!」ですから。
地味なものです(笑)。
-: 栗を焼いた跡が出てきましたか。
水垣: 縄文時代に。
-: 縄文時代に、栗を焼いて食べていたのですか。
水垣: それが最大の発見。
金銀財宝は一切ありませんでした(笑)。
-: それは期待しすぎです(笑)。
壷を見て・・・
-: 自分で焼物を作りたいと思うきっかけは何だったのですか。
水垣: 持ち主の方に悪いので、あまり具体的には言えないのですが、ある方が持っている壷を見たときに「もっといいものを作りたい」と思ったのがきっかけです。
生意気ですよね、作ったこともないくせに(笑)。
-: とはいえ、そう思わせてしまう壷だったということですね。
水垣: 良いところが一つもない壷だったんですよ。
ぺラッとしていて「だから、磁器って嫌なのよ」って更に思っちゃって。
-: 水垣さんの中では完全に磁器が悪役ですね(笑)。
それで、焼き物の勉強を始めるのですか?
水垣: いや、まだです(笑)。
まわりに焼き物やっている人がいるわけでもないし、母親は猛反対。
-: 猛反対されましたか。
水垣: いきなり陶芸家だなんて・・・
そもそも宮崎の大学で農業の勉強をすることすら納得していないのに・・・。
-: そうだったのですね。
水垣: 母は「女性は、普通に文学部にでも入って・・・」という感覚を持っていたようなので。
-: お父さんは?
水垣: 反対だけど「まあ、お前のことだから仕方ないかな」みたいな(笑)。
李朝の白磁壷との出会い
-: 水垣さんは音楽も好きです。
何が好きだったのですか?
水垣: 卒業後の仕事に繋がるのですが、パンク一色です。
ランシド、クラッシュ、ピストルズ・・・。
大学卒業する頃「次は音楽三昧だな」と思っていたら、丁度神保町のレコード屋さんが社員見習いを募集していたので、そこへ。
でも、そこ、実は演歌、アイドル系やクラシックが強い店でして・・・。
ロックの部屋はありましたが、そこには専門の人がいて、近寄れず・・・
ひたすら、由紀さおり、森繁久彌、美空ひばりのレコードを磨き続けているうちに、やさぐれて・・・(笑)。
-: 思う通りにはいきませんね。
水垣: そんな時、昼休みにたまたま入ったのが喫茶店の李白(今は営業されていません)でした。
-: ものすごい出会いですね。
水垣: そこで、李朝の白磁壷に、ガツンとやられて・・・。
しかも、李白も求人していたんです。
自分でもよくわからないうちに「とりあえず、雇ってください」って。
-: 水垣さんにとって、良くない壷が焼き物への道を開き、良い壷がその道へ自分を押し出してくれたのですね(笑)。
水垣: そうしたら、前の仕事先のレコード屋の社長さんが李白の常連で・・・。
「夢を追います」とか言って格好良くやめたのに、すぐ目の前にいたっていう・・・
-: 気まずさ満点ですね。
水垣: とても気まずかったですね(笑)。
マスターとの1年
-: マスターとは色々お話したのですか。
水垣: 李朝のことを一から教えてくれました。
あそこ、本も沢山ありました。
-: 李白って忙しくないのですか。
水垣: 天気によっては人が全く来ない時間があって。
マスターの宮原重行さんが一本気のある人で、李朝に興味がなくてただ喋りにきた人なんかは追い返しちゃうんです。
マスター、静かに李朝を見に来てくれるお客さんをとても大事にしていたから、お店の雰囲気を真面目に守っていたのだと思います。
-: 解説付きで、李朝の焼き物に囲まれながら・・・最高ですね。
水垣: 「李朝と言うと、歪んでいたり曲がっていたりするのが好まれるけど、本来はそんなものじゃない、もっとキレイなものだよ」って言っていました。
「グニャっと曲がった徳利を『良いねえ』なんて言っているけど、そういうものじゃない」とも。
ここにある本は全て李白から頂いてきた本です。
-: なるほど、ハングル語の本まであるのはそういうわけですね。
どこで手に入れたのだろうって思っていました。
白磁の壷以外にも色々と見ることが出来たのではないですか。
水垣: 木工品も、金属も・・・一通りありました。
絵も揃っていたし。
あと、美術館の人達や骨董屋さんもお客さんとして出入りしていたので、そういう人達とマスターの会話もしょっちゅう・・・。
-: いいですね。
それを横で聞いていたわけですか。
水垣: どこそこの所蔵品の器が良いなんて話がでてくると、帰りに近くの古本屋さんで図録を探してどんなものか見たりして・・・。
-: どんどん吸収していた時期なのですね。
好きな李朝の焼き物、挙げていただくことは出来ますか?
水垣: 李白で見た白磁の壷と梅瓶、民芸館の三島を押しすぎてヨレヨレになっているけど、品を感じさせる茶碗の3つです。
-: 李白で、李朝に出会って、ますます焼き物への思いは強くなっていくわけです。
水垣: あの物足りなかった壷に足りなかったものが分かったような気がしたから。
-: 李白にはどれくらいいたのですか。
水垣: 1年です。
ある日マスターが「あんたはいつまでもここにいちゃだめだよ。
陶芸やるんだから、ちゃんとそっちへ行かなければいけない」って。
で、京都の学校に二年間通った後、京都、八王子で工場や事務のアルバイトをしながら器を作って、今の大分です。
焼き物の先生
-: 技法などは学校で教わったのですか?
水垣: 基本的なことは学校で、李朝の技術的なことは吉田明さんの本と、図録や民藝の本で。
本はわたしにとって宝物です。
-: 今、その本、見せていただけますか?
水垣: すみません、今無いです。 どこかに、いってしまいました。
-: 全然、大事にしていないじゃないですか(笑)。
水垣: どこかにそっと、大事にしまってあるの。
ただ、その場所が分からなくなっただけ!
-: いずれにしても、その本を何度も何度も読んでいった。
水垣: ボロボロになるまで・・・。
その頃って、釉の調合の仕方なんて誰も教えてくれないし、公表もしていなかった。
でも、吉田明さんはいきなり公表しているし、三島の判子はこんな感じだ、って全部出していましたからね。重宝しました。
-: 楽しそうな本が色々ありますね。
「三島・刷毛目」(山田萬吉郎)も目を引きます。
水垣: ものへの「愛着」を学びました。
やはり、愛情たっぷりの本を読むと楽しいんです。
この本も戦中のものですが、古い窯跡から出てきたものを手書きの絵で丁寧に記録してあるんですよ。
水垣: これは、李白のマスター絶賛の「朝鮮の陶磁」。
終戦間際に初版が出て、これは再版されたものだけど・・・いいですねえぇ。
-: 「朝鮮の陶磁 久志卓真」。
水垣: 清い魂・・・ですかね。これも戦争中に出た本です。
当時の本を読んでいると気付くのですが、大体、前書きなんかに「日本はすごい」とか「朝鮮は怠け者」とか書いてあるんです。
でも、この人は違う。
初めはそうでもないのですが、最期のほうは朝鮮美術絶賛。
いかに、朝鮮の美術が凄かったか、日本にどうやって伝わってきて影響を与えたか・・・。
戦時中にそういうのを書き通せるだけの覚悟があったと思うんです。
そして、色々な美術の良さを受け入れた上で、朝鮮のものを評価している。
-: 今書くのとはわけが違いますからね。
水垣さんが大好きな李朝に対して、戦時中という環境下で愛情を表現してくれていた。
水垣さんにとっては大変な力となったわけです。
水垣: (李白の)マスターの言葉を聞いたとき、ピンとこないこともあったのですが、この本を読んだときにパッとそれがわかった気がしました。
感謝
-: 今まで作ったもので、印象に残っているものありますか。
水垣: 最初に自分が作ったものを見たときには「どうしよう、こんなのできちゃった。売れすぎて困っちゃう」って思いました(笑)。
-: 凄いですね。何だったのですか。
水垣: 三島の小皿です。でも、全く売れなくて。
京都の手作り市だったのですが、近くのガラス作家さんもとても良いのに売れていないのを見て、安心してみたりして・・・。
あらためて「自分で最高だと思うものを、みんなが同じようには思わないんだなあ」って実感しました。
-: その時の小皿はまだお持ちですか。
水垣: これです。15年経ちます。
-: 15年前からこんな素敵だったのですね。
水垣: 売れませんでしたよ。
-: 何で売れなかったんだろう。
これを見て何か思い出しますか。
水垣: 苦い思い出ばかりです(笑)。
今は、仕事があるって有り難いなって。ちゃんと仕事しないと(笑)。
-: 何か嬉しかった思い出はありますか。
水垣: 小学生くらいのちびっ子が一輪挿しを選んでくれたとき、嬉しかったです。
-: なぜ、子どもが選んでくれたことに、水垣さんは喜びを感じるのですか。
水垣: 小さい頃自分が選べなかったから(笑)。
あと、子どもは理屈や薀蓄じゃないからです。
大人買いをするわけでもないし、欲しかったらお金を出してくれるお母さんを説得しなければいけない。
それを乗り越えて手に入れてくれるわけですから。
-: 大きくなってから思い出してくれると良いですね。
そして、いつかまた、水垣さんの個展に現れる。
水垣: わたし、もうその頃はおばあさんですよ(笑)。
ロックンロールでロクロ
-: 今、作りたいのは、どのようなものでしょうか。
水垣: わたしは好きな李朝のものを目指していて、なおかつ食卓の上にのるものを作り続けたいです。
とりあえず変なものをつくらないように、気をつけること。
自分が欲しいものを作ることを忘れずに。
-: 自分にとって、必要なものを作っていると。
水垣: そうですね。要らないもの作って、家の中にいっぱい在庫があったら嫌ですもの。
-: (笑)
水垣: なんだかんだいって多少はうつわの力を信じていて・・・。
もし夫婦喧嘩しても、自分の好きなうつわを選んでいたら、それを投げようとは思わないですよね。
うつわは日々を豊かにしてくれるし、何かの歯止めにもなってくれているような気もするんです。
-: 珍しく、真面目に話して下さいましたね(笑)。
僕は水垣さんの染付も好きです。素地も良いし、筆の雰囲気も。
水垣: 絵柄は古いものの写しです。伊万里、李朝、祥瑞・・・。
アジア全体に伝わる共通的な絵柄が好きです。
-: 祥瑞なんてありましたか?
水垣: 祥瑞の中からすこし連れてくる感じです。
-: 部分的に、ですね。染付はうまく水垣さんの空気が漂っている。
水垣: 骨董をみていると同じ絵柄でも、描いた職人によって雰囲気が違いますよね。
その乱れ具合がいいんじゃないかなって。
勝手にその末尾に加わって、昔ながらの絵柄を描き続けてます。
とりあえず現代的に生きながら。
-: それもありますね。
水垣: 瀬戸の新道工房さんが「江戸の職人が今も生きていたら、みんな普通に電動ロクロ使っているよ」って言ったのを聞いたときにちょっと心が楽になったことがありまして。
昔のものを目指しながら、昔とは違う暮らしをしているズレが気になっていたこともあるけれど、わたしもキン肉マンを見て育ってしまいましたし、もう開き直ってロックンロール聴きながらロクロひいてます・・・。
展示会に向けて
-: さて、野口悦士さんとの展示会に向けてなにか一言お願いします。
水垣: 野口さんの南蛮好きです。
ご本人に会ったことはありませんが、どこかで見て、なんかすごく印象に残っていて・・・「あ、この方が野口さんなんだ」って。
だからすごい光栄です。
宜しくお伝え下さい。
-: はい。
それでは展示会、宜しくお願いします!