工房を行く Kazu Oba
2話・・・メリケン陶芸家が切り拓くYAKIMONの未来
Kazu Obaさんは外交官を目指し、英語も分からないまま、18歳で渡米。
夢と希望に溢れた青年の、陶芸家への道が開かれた瞬間でした。
Kazuさん、コロラド大学で国際関係学を学びながらも、
ほどなくアートの世界に興味を持ち始めます。
中でも彫刻に強く惹かれ、彫刻家であるJerry Wingren氏に師事。
そののち、陶芸家の中里隆氏と出会うことになります。
全てを食につぎ込む中里氏と過ごした時間は、
Kazuさんを陶芸の道へ引き込むには充分でした。
さて、コロラドには数日の滞在でしたが、
Kazuさんは多くの方々を僕に紹介してくれました。
単身で米国に乗り込み、コツコツとネットワークを作り上げてきたのです。
そして、仲間と力を合わせ、一つひとつの仕事を積み上げてきました。
彼らのような多くの協力者なくして、今のKazuさんの仕事は成立しません。
その仲間たちにとっても、今やKazuさんはかけがえの無い存在になっています。
渡米時も、陶芸を始めた時も、将来への確信などなかったはずです。
ただ、自分の気持ちに正直にまっすぐに向き合ってきた結果です。
そして、自らを囲む環境や状況を少しづつ自分のものにしながら、今に至りました。
海外で活動したい、自分の好きなことをずっとしていたい、
自分の仕事場を自分で作りたい、世界中を渡り歩く仕事をしたい・・・
多くの人が一度は考えたり望んだりしたことではないでしょうか。
Kazuさんはそれを行動に移しました。
それらを実現できるだけの力と人間性がそなわっていた、ということでしょう。
Kazuさんの言葉を思い出します。
「子どもの頃はみんな、楽しそうに何かを作っていたじゃないですか。
それが、みんな大人になってくると『私、器用じゃない』とか
『私Artistじゃない』と始まって、後付された概念に支配されていってしまう。
この時代だとか、この国に生まれたとか、
こんな家庭に育ったとかそういうことにとらわれ過ぎてしまう」
子どもの頃の思いや喜び。
放っておけば消えていってしまいそうな、
ピュアな気持ちをいつまでも持ち続けることに、真剣なんだと思います。
米国の風土、気質や、コロラドという土地もそれを大きく支えていることでしょう。
大らかに。志高く。
花田はKazuさんが今のペースを保ちながら、日本でも広く受け入れられていって欲しい。
そう願い、個展を開催いたします。
カートン数にして30に及ぶ力作が揃いました。
すっきりした白釉や、野趣溢れる焼〆の選ぶのに迷いそうな軽やかな板皿、
質感もかたちも表情豊かなマグ、
取っ手と注ぎ口に上手さを見せるピッチャー、
盛り鉢にちょうど良い大きさのバリエーション豊かな中鉢類、
酒のみは無視できない、片口、徳利、ぐい飲みなどの酒器類・・・
「自分(の暮らし)に必要なものを作る」
「そもそも料理が主役で、
自分の作っている食器は食べるため、盛るため、酒をのむため。
それ以上でもそれ以下でもない」
これら”Kazu Rules”をまさに体現した、やきもの揃えとなりました。
日本の食卓で、Kazuさんのうつわを囲んで、少しでも多くの笑顔が生まれること、
祈っています。