「暮らしを日々大切に」 原口潔
焼き物の町愛知県常滑で、原口潔氏は真鍮のうつわ作りに没頭します。
一見なんでもないように見えますが、実は工夫と熱い思いに溢れた名品ぞろいの原口さんの仕事。
5月、原口さんはどのようなうつわを作ってくれるのでしょうか。
花田:真鍮を始めたきっかけはなんですか?
原口:もともと彫刻をやっていたんですけど、いつのまにか食器に。
生活により近いものに関わっていたかったんです。
ただ、そうは言っても、彫刻もスプーンも僕にとっては一緒なんですよ。
たとえば、彫刻人物像での胴体と足のバランスは、
スプーンでいえばさじと柄のバランスのとり方と一緒。
自分の中で同様の引っかかりがあるんです。
花田:原口さんのうつわは見ていても、とても自然です。
その辺のバランス感覚でしょうか。
人物でもさじでも一緒、って言えてしまえる造形感覚を持っている。
実際、非常に使いやすいです。
原口:造形はとても大切です。
そしてもっと基本的な部分にさかのぼると、僕が仕事をする上で一番大事だなって思うのは、
「生活している」という実感。
どんなに美しいものを作っても自分とかけ離れていたら意味がないんです。
自分の中でしっくりいって初めて意味がある、というか。
だから、それはスプーンでも彫刻でも、作る上での到達点は一緒。
結局、何事も自分が生きている範囲内でしか行えない。自分次第、ということ。
それなら自分自身の生活、というか暮らし、もっと言えば自分自身の充実しかないのかな、と。
「暮らし」は大切です。僕のモノづくりにおける原点はそこにあります。
花田:原点は毎日の暮らし。
そして、機能追求と手作りの温かさをうつわに注入。
そこで出てくるのが一見なんでもない、この匙なのですね。
取り分けスプーンにしたって、フォークにしたって、茶さじにしたって・・・
見れば見るほど、使えば使う程に実感できることがたくさん詰まっています。
原口:そんな言われると、照れくさいけど、真鍮を「打つ」って作業は意外と深いですよ。
スコーンというあの音にも「抜け感」があって、芯をついた音とそうでないものはあります。
突き抜ける、って言うのかな。
花田:突き抜け感。原口さんの仕事場にいて仕事を眺めていると、分かる気がします。
原口:さすがに今は無いけれど、真鍮を始めた頃は「突き抜けない」時もありました。
ほんと、気持ち悪いんですよ、あれ(笑)。そんな時はうつわも、ろくなものじゃない(笑)。
花田: 真鍮のうつわって最初は単なる板だったり、
棒だったり、で、そこからうつわになっていくわけですが、
この間原口さんが仕事している時に感じたことがあります。
実際の仕事を見るまでは、板なり、棒なりが徐々にうつわっぽくなっていくんだろうな、
って勝手に想像していましたが、違いました。
瞬間があるんですよ、材料からうつわになる瞬間が。フッと。急にうつわになるんです。
原口:そうなんです。上手く言えないけど、フッとね、フッと。これがあるからこの仕事はやめられない(笑)。
花田:話変わりますが、この間納品いただいたバターナイフちょっと変えましたか?
原口:変えました、先端をフラットに。
見た目の安定感や使い勝手は良くなっているはずです。
やはりね、一度作ったからと言ってその形にこだわることはなくて、良ければ良い、というか。
花田:変わっていくのも楽しみです。
さて、5月の「私のしごと、私のうつわ。」では初めてのピッチャーの制作。
原口:ずっと、作りたいなと思っていたんです。なかなか技術的に実現しなくて。
花田:具体的には?
原口: ピッチャーなので、まず水切れのよい注ぎ口。
そして、水に強い加工。真鍮だとどうしても水分には強くないので。
花田:これ水切れいいです。
原口:そう、弾力性の低い金属、特に板金では片口の造作が難しいので手間取りましたが、
機能と造形の両立がやっと満足できる水準に達しました。
片口の切れの良さというのはとても大切だから。
花田: あと、耐水と言えば、漆を焼きつけるって話、昔からしていましたよね。
原口:そう、昔から(笑)。
でもなかなかうまくいかない。でも真鍮が「水分」という課題を克服するには必要でした。
花田:ずっと目指していたことの実現が5月に間に合ってよかったです。
原口:はい、片口や漆の焼きつけは、一区切りつきました。
花田:その2つの成就で、「ピッチャー三兄弟」が誕生しました。
原口さんが見本送ってきてくれた時に「ピッチャー三兄弟」ってメモしてありましたね。
思わず笑っちゃった。ものの雰囲気にぴったりだったから。
原口:長男が結構でかい顔してます(笑)。
花田:それにしても、丁度5月の企画展に間に合ってよかったです。
原口:そうですね。皆さんに使っていただくのが楽しみです。