心情でとらえた自由さを求めて・・・
花田: どういういきさつで、うつわ作りがお仕事になっていったのですか。(以下 花田-)
藤塚: 元々会社員として勤める気はなくて(笑)、最初は日本画を志していました。
学生の頃、下宿先の近所でよくスケッチをしていたんですが、自分の絵をじっと見るおじいちゃんがいたんです。
色々話すようになって、近所だったし、その人の家に遊びに行くようになった。
しばらくするとその人が鳥海二楽子という水墨画の先生だということを知るんです。
それでその人に、弟子入りを願い出でたんですよ。
そうしたら「僕らの若い時は、絵描きが正月に買ったお米代を年末に払っても許される時代だったけども、恐らくこれからはそういう時代じゃないから、大学だけは出なさい。
そして、それでもやりたかったら、もう一度来なさい」って言われてね。
-: 今でも覚えているんですね、その言葉。そして大学入学後、自身の興味の幅が広がっていく中で、秦秀雄さんを知ることになるわけですか。
藤塚: 当時、秦秀雄さんは「目の眼」や「銀花」で、よく文章を書いておられました。
日展みたいなものに出るものが焼き物だ、っていう風に思っている時に秦秀雄さんの文章に出会ったんです。
-: 文章がきっかけだったのですね。
藤塚: そうそう、あの初期伊万里の煎茶碗の写真とね。
こういう世界もあるんだって、いっぺんに惹き付けられてしまって・・・。
それまで自分が全く知らない世界であったし、その文章に感動してね。
-: 藤塚さんは、それらの何にひきつけられたのでしょうか。
藤塚: やはり”使える食器”であったというところ。
それと、それまで見てきたキンキンキラキラの飾り物と全く違うものだったから。
自分の性格とか色々考えたときに、こっちのほうが向いているなって。
それに、食器の仕事なら食っていけないこともないだろうと(笑)。
食器は人間がいる限り必ず必要でしょ?
-: そして、秦秀雄さんに会うことに?
藤塚: 連載読んだ後、すぐ秦さんに手紙を書いたんだ。
返事なんてくるわけないと思っていたら、一週間もしないうちに「息子が金沢のほうで、工房やっているから、そっちへ行く時ついてこないか」って返事が来てね。
で、九谷青窯連れて行ってもらったわけです。
-: へえ、それで今に至るんですね。
藤塚: あれから41年ですよ。
-: 仕事は最初から今のように初期伊万里をベースにしたものだったのですか。
藤塚: 古染付は正木春蔵さんがいるでしょう。
いまさら、古染付やってもあの人には到底適わないし、でも古伊万里ならなんとかなるなって、当時考えてね(笑)。
当時は、本格的に古伊万里やっている人、そんなにいなかったし。
有田にも見に行きましたよ。
有田の人たち、みんなとても親切でね。
-: よかったですねー。
藤塚: みんな、どんどん案内してくれました。それと驚いたのが、今でいう量産品的なものをつくっていることころでも、奥に入っていくと大体立派な蔵があって、そこには、青磁やら陶片やら、立派なコレクションがあるんです。
-: 藤塚さんの仕事は、古伊万里、特に初期のものをベースにしています。
藤塚: 中期、後期に行くに従って、文様がデザイン化されていってしまうんだけど、そのデザイン化されたものがあまり好きになれなくてね。
もちろん中後期で面白いものもあるんで、そういうものを初期伊万里風にアレンジして、作ることはしています。
-: 藤塚さんの言われる「デザイン化されたもの」っていうのはどういうことを差すのですか。
藤塚: カチッとし過ぎているもの、というか絵になっちゃっているもの。
なんというか、もううつわの絵じゃなくなっている。
-: 文様じゃなくて、絵になっている、みたいな?
藤塚: そうそう。
初期のものは計算されたデザインよりも心情的なものが表に出ていて、そういう意味で感動が大きかったんだと思います。
-: その時の作り手の気分がより伝わってくると。
藤塚: 心情でとらえたものって、自由じゃないですか。
初期のものって絵としては稚拙なのかもしれないけど、自由で伸び伸びしているでしょう。
そういうもののほうが面白く感じるし、自分もそういううつわが作れたらいいなって思いながら仕事をしてきました。
-: あと、初期伊万里が持っている地の力、というか素地が持っているチカラって、なにか感じることありますか。
藤塚: 初期のものって、高台がすごく小さくて、で分厚い。
多分最初は磁器のロクロのひき方なんて誰も知らないから、唐津の職人がひいている。
唐津ってこういうひきかたするじゃないですか。
-: そういうものが、またよいと。
藤塚: そう、初期のものはね。
でも難しいのは、そのまま今、高台小さくして、足元ガッチリ分厚くして・・・みたいなことするとね、もの単体としては、それはそれでいいのかもしれないけど―特に五寸とかそういうものになってくると―盛るものが相当限られてくるんですよ(笑)。
乾きもんくらいになってしまう。
中央にちょこっと、みたいな感じに。
まあ、格好は良いんだけど、それじゃあ、現代にはなかなか通用しないよね。
-: パスタ皿、カレー皿に対抗して「乾きもの皿」ですか。分が悪いですね(笑)。
藤塚: 現代への適応や、伝統の咀嚼。その辺の塩梅が難しい。
-: 最近また、古陶の模しが増えてきました。
藤塚: 九州でも色々いるよね。ちからのある人が増えてくるのはよいことです。
-: 藤塚さんが、ご自身の目指すうつわを完成していく中で、苦心された部分は何なのでしょうか。
藤塚: 苦労したもなにも、まだ完成していないからさ(笑)。
ゴールは無いですよ。色々な人に色々な勉強をさせてもらいながら進んでいくしかない。
例えば、これも模しを頼まれた初期の李朝。
-: ズンときますね。
藤塚: 重いでしょう。これほんとうに土の塊ひいているみたい。
普通に考えたら、これは今の食生活では機能しない(笑)。
-: (笑)ぜんぶこれじゃあ困るけど、たまにはあると楽しいですね。それこそ乾き物載せたくなる。
藤塚: こういう仕事をする機会をもらえる、というのもとてもありがたい話しでね。
自分ひとりで考えていたら、こういうものを模そうという発想にはならない。
見たとしても「重たいし、現代では使えないな」と、はなから決めてしまっていたと思う。
-: これからしていきたい仕事、具体的には何かありますか。
藤塚: 数こなして、筆がもっと慣れてきてね。
最終的には色々なものが少しづつ省けていって、簡単な絵付けで、もたせることができれば最高なんだけど、それはやっぱり難しい。
ちょっとした絵付けだけで、もたせるのは本当に難しいと思う。初期のものはサッと描いただけで存在感あるからねえ。
-: 今まで作られた中で、特に思い入れの強いものはありますか。
藤塚: 思い入れと言うか、独立当初から作り続けているものはありますよ。
これなんか、花田さんにも随分作ったなあ。
これは元々こういう文様の蕎麦猪口があって、それをちょっと線入れて段つけて、皿にしてみた。
-: これまでうつわ作りの仕事を続けてきて嬉しかったことや、やっていてよかったとなって思うこと、どのようなことなのでしょうか。
藤塚: それはもう、買ってくれた人の喜びですね。「使いやすいねー」とか「料理が映える」とかって言って下さるのが、作り手としては一番の褒め言葉かな。
-: 藤塚さんの個展の前に万作さんや林京子さんの個展もあります。
万作さんが「潰し合いじゃないかよ」って言って笑っていましたよ。
藤塚: 万さんらしいね(笑)。万作さん、林さん、藤塚?
-: 青窯出身者が続きます。
さて、藤塚さん、若いつくり手の人たちともたまに交流されている話しをたまに聞きます。
そういった人たちへ何かメッセージいただけませんか。
藤塚: 格好いいこと言えないよ(笑)。最近の人たち、結構古いものをちゃんと勉強されているでしょう。良いことだと思います。
それをいかに現代の生活にあった食器として表現していくのかっていうことをしていかなきゃいけないと思う。
模しって、力もつくし、勉強になるからやったほうがいいと思うけど、でも模しだけで終わっちゃうと、つまらない。
勉強の手段だからね。正木(春蔵)さんなんかもそうだと思うんだけど、やっていくうちにその人の手に馴染んできて、作るものがその人の品物になるじゃないですか。
古伊万里の模しやっていても、それは藤塚光男の仕事になっていくべきだと思っています。
-: ものに対して、その人なりの解釈、表現なりがあるべきですね。
そういう意味では藤塚さん、直接的には初期伊万里かもしれませんが、恐らく色々なものから様々なことを吸収されていますよね。
自分の世界を作り出すために。
藤塚: 前にも話したかもしれないけど、同業者の友達って、僕はそんなに必要ないと思う。
違う分野の人と出会って、色々な人たちと会うほうが、刺激になるし、勉強にもなる。
焼き物屋同士が、そこらへんでゴチャゴチャやっていても、どうしようもないと思う。
モノ作る人だけにしたって、絵描いていたり音楽やっていたり、様々ですから。
色々な人と会うといいですよ。そうすると発見も色々あるし、知らないうちに自分のエネルギ-になると思います。
-: 藤塚さんと話していると、多彩な分野の方々の名前が出てきますものね。
藤塚: 僕にしてみると、日本画家の竹内浩一さんは、心の支えです。山口華楊さんの一番弟子で、金沢の飲み屋で出会ったんです。
その人がどんな人かも知らないで、絵が好きだったから、竹内さんに向かってブワーって絵に対する自分の意見言いまくっちゃったのよ。
僕が独立する1-2年前くらいだったかな。知らないとなんでもできるよね(笑)。
あとから考えるとゾッとしたけど、それからそのお付き合いは続いている。
-: そのブワーがあってこそのお付き合いの始まりだったのですね。
藤塚: その瞬間は本当に一生懸命やってんのよ(笑)。
竹内さん、大徳寺芳春院の襖絵ができたって教えて下さったから見に行くことができたんだけど、すごくよかった。
-: 次の公開のとき行ってみたいです!
さて最後、個展に向けてなにかありますか。
藤塚: 花田さんでの個展は初めてだし、いままでの仕事を全体的に見てもらいたいなって考えています。
-: 今までの総集編、そして新作も遊び心を感じる新鮮なものですね。宜しくお願いします。
藤塚: よろしく!