生活も仕事も快適に
花田:余宮さんは、その時その時でご自身が考えていることや感じていることを率直に制作に表現されます。
今年の個展に向けて、余宮さんの「最近」を教えていただけますか。(以下花田-)
余宮:50歳を過ぎてから、器の好みが変わってきました。
以前のマットな感じではなく、今は、つややかで綺麗なうつわが好きです。言い換えると「可愛いもの」を好きになってきました。
-:余宮さんにとっての「可愛い」とはどのような感じですか。
余宮:「ぶりぶり」ではなく、なんかこう、愛でたくなるような。
朝起きてきてニヤニヤしながら眺めてしまうような感じです。
例えば、ギャッベやキリムも、すごく可愛いし、昔の民芸品も好きです。
「民芸」になってしまう前のただ生活のために作っているような、その「用の美」を自分で探せるようなものが好きです。
-:引越しの影響もありそうですね。
余宮:この古民家に住み始めた影響はあります。
-:こちらの古民家、これまで仕事場として使われてきましたが、ずっと「いつか、ここに住みたい」とお話しされていました。
余宮:ここに住むことになったら、家をこういう風にしよう、というのは、以前から決めてありました。
まあまあ住みやすく便利で、この古民家の空気感は残しつつ・・・。
-:とても快適です。
余宮:仕事も快適にできています。仕事飽きてきたら猫と遊べるし。
河井寛治郎じゃないけど「暮らしが仕事、仕事が暮らし」ですね。
自由に作るということ
-:余宮さんは人気のあるアイテムでも新しいものと入れ替えていかれます。
惜しむ方々もいらっしゃいますし、逆にその潔さや変化を楽しまれている方々も多いです。
余宮:キャラクターや器のイメージが植えつけられてしまうと、作家って辛いんです。
本当は、もっとやりたいことがあるのに、求められる部分が1つになってしまうと、それは多分、苦しみだと思います。
そうならないように、自分に正直なモノ作りをするよう心がけています。
-:それが、自分を守ることにもなるわけです。
余宮:そうです、そうです。長く仕事を続けている人たちって結構自由な人が多いでしょう。
周りから見たら、作風変わって「どうしたんだ、この人?」みたいな時もある。
でも、そういうのがないと続けていけないんです。
変なことしたくなるんです。昔の陶芸家の巨匠たちにしても、見ていると必ず「なんじゃこれは」みたいなもの、ありますよね。
-:ただ「自由に作る」って、難しくもあります。
余宮:難しいです。怖いですもん。
自由に作って無視されたら嫌じゃないですか(笑)。
逆に、見たことがあるものや、脳みそのどこかに引っかかっているようなものが焼けると安心します。
「マジョリティの中に自分が存在する」という安心感なのかな。
ただ、誰々っぽいものが焼けたとか、いいとされる焼き物に似ているとか、そうやって安心するのはもうやめようって。
お客様の楽しみ
余宮:この間、お客さんからすごく嬉しいことを言われました。
「100年後にすごくいい器になっているだろうね」って。
以前は最初から時代がついたようなものを焼いていました。
-:「時代がついている」とはどういうことですか。
余宮:アンテイークっぽく見せるということです。でも段々「お客さんの楽しみを取っているんじゃないか」と思うようになりました。
自分で言うのもなんですが、僕の焼き物は粘土も釉薬も強いですし、良く焼いてあるので、100年くらいはもつはずです。
だから、その時に良くなっていればいいんです。
-:複数の持ち主を経るかもしれませんね。
余宮:メルカリでも使ってもらってお客さんの間をぐるぐる回っていれば、100年くらいかけてイイ感じになるんじゃないかな(笑)。
希望
-:後輩のうつわ作家さん達に何かアドバイスはありますか。
余宮:若い人たちには、僕なんかを見て「自分にもできそう」って希望を持ってもらいたいです。
-:やってみたら結構難しいけど・・・。
余宮:それは、どの仕事も一緒です。飲食店でも「やってみたい」「やれるかも」って思えるじゃないですか。でも「定食屋やりたいな」なんていうのが、実は1番難しい。
あとは、焼き物以外に好きなことを見つけるとよいと思います。
励ましの言葉ではない(笑)
余宮:ただ、こんな話をした後に、身も蓋もない事言ってしまうと・・・焼き物って、ほぼ生まれ持ってきたもので決まってしまうとも思っていて、弟子にもよく言っていました。
-:厳しく、残酷でもある一言です。
余宮:松井さんだって今までたくさん見てきて、花田に置けるものと置けないものには違いがあるわけじゃないですか。
どれだけ練習してうまくなっても、どれだけ勉強して詳しくなっても、それだけではない部分、ありますよね。
-:それをお弟子さんに言うのは「君は大丈夫だよ」という意味ですよね。
余宮:いや、励ましの言葉ではない(笑)。
ただ、それを乗り越える必要があるんです。「自分らしい仕事をする」ということが、どういうことかって。
最初は、何かに憧れて「ああいうものを焼きたいな」でもいい。
でもどこかで、自分が生まれ持ったものと付き合っていく覚悟を持ち、そうして作ったものを評価してくれるお客さまやお店と付き合っていくということなんです。
弟子だからって、無理して余宮隆のうつわが置いてある店に置いてもらう必要なんてない。
自分を評価してくれるお店に置いてもらった方がいいよという話なんです。
-:とても意味のあるアドバイスですね。
ただそれは、色々なことに振り回されたり、 乗せられたり、自分で考えあぐねたりした末に戻ってくるような結論ですね。
余宮:僕は唐津焼が好きだったから、唐津で修行しましたが、唐津焼が焼けなくて苦しんでいた時代があります。
-:以前「唐津焼が自分の内側から出てこなかった」とお話しされていました。
余宮:それがあるから、今があるんです。
説教陶芸家
-:日本では、次々と楽しみな若い作家さんたちが出てきています。逆に最近は引退する作家さんも出てきました。
余宮:引退か。偉いですね。
自分は、死ぬまでやろうと思っていますよ(笑)。
-:それも1つの選択肢です。だから、いいんです。焼き物屋さんはそれも自分で決めることができる。
豊かなことです。
余宮:自分ね・・・日本の焼き物作家全員を後輩にしたいんです。
そのためには現役最年長にならないといけない。
-:どうしよう。突然、威張り始めたら・・・(笑)。
余宮:先輩達がいなくなって、急に説教始めるかもしれませんよ。
-:後輩たちの個展に行って説教を始めたり・・・(笑)?
余宮:その時はもう花田さんのアーカイブから外してもらっていいですよ(笑)。花田さんにも火の粉が降りかかっちゃうから。
-:説教特集で、記事にさせてもらいますよ。
「余宮隆の『言っちゃった』シリーズ」(笑)。