見れば見るほど…
花田:今回、安達さんが作られていたこの六角小皿を阿部さんに引き継いでいただくことになりました。
このうつわ、小皿にしては少し深めなのが具合いいんです。
薬味などにも勿論使えますし、前日の主菜の残りなどを一品にしてくれる有難いうつわでもあります。
色のバリエーションもあって、いくつか並べて使うのも楽しいです。(以下花田-)
阿部:見れば見るほど、うつわとして、色々な面でうまく作られていますね。
シンプルな形だからこそ、ものにするのは難しいと思います。
ただ、難しいだろうけど、うまく作ることができれば残っていくうつわだとも思います。
安達:最初は何度か試作しました。
その後も3度くらいのマイナーチェンジを経て、今の形に至っています。
-:作り方もいくつか試されていましたね。
安達:最終的にはロクロ成形の後、石膏型にあてる引き打ちで作ることにしました。
阿部:ロクロで一度成形されているのですね。
安達:粘土にもよりますが、たたらだと、ひずむので引き打ちにしています。
たたらにはたたらの良さもありますし、作り手の工夫次第だと思います。
-:焼き物の多くには、先人が作ったものを写したり、参考にしたり、エキスを転換したり…ということの積み上げも含まれます。
この六角小皿も同じことですが、今回の場合はそれまで作っていた人が目の前にいます。
阿部:実は先日見本を見た時から今日まで「こういう風に作ろう」と思っていた作り方が、今の安達さんのお話を聞いてまたスタート地点に戻ってしまいました(笑)。帰って考え直します。
安達さんのやり方を磁器の僕がそのままやればいいかというと、そういうわけでもなさそうですし。
必然
-:お二人にこのうつわの引き継ぎをご快諾いただけて、良かったです。
阿部:安達さんがずっと作っていたものを、受け継いでいくというプレッシャーと、でもそれを僕が「やっていい」って言ってくれたことに対する感謝の両方を、今は感じています。
安達:こちらこそ感謝です。
随分前の雑誌のインタビュー記事で、当時まだ若手の作家さんが「どんな作家になりたいですか」という問いに「代表作というか『これは自分が作ったんだ』というようなものを一点でもいいから認識してほしい、残したい」と答えられていました。それを、花田さんからの「六角小皿を阿部春弥さんに引き継ぐのはいかがですか」というメールで思い出しました。
私は、46歳で窯業学校に入学して、25年間焼き物の仕事をしていました。
焼き物にしては本当に短い期間です。とてもじゃないけど、代表作なんて言えるものはありません。
そう、一つもない…。
でも、いくつか作ったものの中の一つが、阿部さんの手によって、引き継がれて、それがまた、お客さんの手に届くとすれば、代表作とはいえないまでも「引き継がれる」のは、さきほどの作家さんの言葉と、ある面ではつながりがあるのではないかなと、非常に嬉しく思ったんです。
松井さんからのメールは「もしかすると『これは私のモノなのだから、引き継ぐなんて嫌だ』みたいなことを言われるんじゃないか」という危惧感が漂った文章でしたけど、私からすれば、そんなことは全くなくて、非常にありがたいということなのです。
-:お見通しですね(笑)。
安達:分かりますよ(笑)。
このお皿は、大した形でもない、ごくごく普通のお皿です。
それでも、次の世代の人に作ってもらえるということは非常にうれしいことです。
阿部:緊張してきました(笑)。
-:お二人にも、それぞれ考えや思いがあるだろうし「どうやって頼もうかな」とは、考えました。
考え方によっては、お二人それぞれに不快な思いをさせることもありうるわけです。
骨董ならまだしも、やめたばかりの人のものを参考にしてくれというのは、気は引けるものです。
阿部:骨董も、それはいいものだから現在まで残ってきたわけです。
まあ、今回はそのスパンが短いだけで、そういう意味では一緒ですよね。
いいものが残っていくのは必然ですし、そういうことに、微力ながら自分が関われるのは有難いなと思います。
-:僕としては、外見を全く同じようになぞるというよりは、これの使い心地だったり、多くの色から選ぶ楽しさだったり、そういう部分が、形を少しずつ変えながらも引き継がれていくことを望んでいます。安達さんが、この小皿を作った時の気分みたいなものこそ活き継がれていくといいいですね。
それぞれの「これから」
-:安達さんは46歳で窯業学校に入られました。
僕はいま48歳ですが、2年前の自分が、それまでとは全く違う仕事を志して、それを学ぶために学校に入るというのは想像できません。
阿部:僕なんて、まだ学校に入ってもいませんよ(笑)。
-:で、その焼き物もスパッとやめてしまう。
阿部:安達さんの閉窯のインタビュー動画、拝見しました。
「凄いな」と思うと同時に、その決断に至るまでの心境を聞いてみたかったです。
安達:人が聞いて驚くような話なんてありませんよ。
-:辞めることだけが選択肢ではないでしょうし、限界まで続けることだって、人によってはありだと思います。答えそのものより、安達さんの選択の仕方が、僕にはすごく、刺激になりました。
超現実的なのに超感覚的というか。「次を見ているからなのかな」とも思います。
次やりたいことがあったり、自分はまだまだ生きていくという思いがあったりするから…。
「子供たちに焼き物を教えたい」というお話もされていました。
阿部:一歩引いて自分を見る視点がすごいなと思います。
安達:ギリギリ理屈っぽいことを言うとすれば「自分の生きたいように生きたな」と思っていたいだけなのでしょうね。「焼き物を職業としたい」というところで、落ち着いたわけですし、そういうことは年齢ではないですよね。
20代だから、30代だからということではなくて、40代でも50代でも起きるときは起きる。
70代でもね(笑)。
他人から見て、うまくいっているとか、うまくいっていないというよりも、自分が生きたいように生きようとしていたのだと思います。
気付き続ける
安達:随分と褒めてもらったので、私の2つのひがみをお話ししてもいいですか。
-:ひがみ…(笑)。
お願いします。
安達:焼き物屋さんに生まれた人へのひがみと、才能のある人へのひがみです。
まず一つ目。製陶所や陶芸家の息子さんは、学校にもいっぱいいました。我々みたいな全く関係ない人間と比較すると、100m走で50m、60m先からスタートするようなものです。
陶芸は、始めるとなると、お金が必要ですよね。
たとえば、小説家みたいに、ミカン箱一つあれば始められるというものではない。
技術は勿論ですけど、作業場、ロクロ、窯、材料…、それらが全て揃うということが「スタートできる」ということなんです。
そういうものが最初からある人たちに対してのひがみはありました。
同級生にも、作る力はあっても、経済的理由で陶芸を諦めていく人たちはいましたし。
-:最近は色々サポートもあるようですけどね。
安達:もう一つのひがみが、才能に対してです。
才能のある人が、壺でも皿でも作るとします。
そうすると、同じように習っているはずの私が作るものと、全然出来栄えが違うんです。
その時は、それを天性のものだと思っていました。
それが5年10年と自分でも陶芸を続け、古いモノなんかもたくさん見ていく中で、その才能ある人たちの仕事との共通点に気付き始めました。
彼らは、古備前、古唐津だとか、弥生、縄文だとかの焼き物、或いは海外の作品なども見て、それを努力で自分のものにしていたのだなと。
才能の「ある」「なし」で言えば、もちろん「ある」のだと思います。
でも、それ以上に、彼らは努力していたんですよね。
「ひがみ」でしかなかったし、そもそも勘違いでした。
窯業学校卒業直後、瀬戸にいた時の話です。
いつものようにひと窯焚き終わって「ああ疲れた」なんて言って仲間と飲んでいました。
先輩や師匠の悪口言ったり、他人の作品にケチつけたりしながらね(笑)。
そうやって飲み終わっての帰り道―それは花田さんでも人気の作家さんですが―その人の工房だけはまだ明かりがついているんです。
自分たちが8時9時に「もうこんな時間だからやめよう」って飲んでいる中、その人の工房の明かりはいつもついていた。多分それなりの努力していたのでしょうね。
で、飲んでいる我々がさらにダメなのは、そういうことを次の日になったら忘れているところです。
-:(笑)。
安達:100メートル走で50m先行っているというのも間違えでした。
やはりそれは、そこまで努力を積み重ねていかなかった自分の問題ですよね…。
結局「ひがみ」なんです。
そういうことを思ったり、間違いに気づいたりしながらの25年でした。
ですから、阿部さんのことを、作家さんの息子さんだからということで、今は全然ひがんでいませんよ。
阿部:よかったです(笑)。
僕自身、独立時には全て自分で用意しましたので、そういう面では必ずしも先にスタートできているとは言えません。
ただ、仕事へのアプローチや姿勢といったものは父親から知らず知らずのうちに学んでいたなと感じます。どちらかというと、恵まれていたなと感じるものは、そういう形にはならないものです。
六角小皿はこれからも
-:この六角小皿が生まれ変わるのが本当に楽しみです。
安達:代表作も無いまま辞めていくという時に、仕事の一つを引き継いでくれるというのは、本当にありがたいと思っています。
阿部:頑張って作ります。