焼き物との出会い
花田:うつわ作りの仕事に至った経緯はどのような感じだったのでしょうか。
山本:僕は京都山科の清水焼団地すぐ近くで生まれ育ちました。
子供の頃は、親戚なんかにそういう所に連れていかれて「触ったらアカン!」って叱られていました(笑)。
正直なところ、身近すぎて興味を持てなかったです。寧ろ嫌なくらい(笑)。
で、大きくなって、予備校に通っていた頃、―80年代後半ですが―クレイワークというか「焼き物でオブジェ」というのが、割と盛んでした。
それらが「焼き物ってこんなのもあるんだ・・・」って新鮮に見えたんです。
最初はプロダクトデザインを志していましたが、それがきっかけになりつつ、予備校の講師の方の影響なんかもあって、陶芸科に進むことになりました。
入った大学も、自由な校風で、抵抗なく焼き物の世界に入っていくことができました。
-:子供の頃、抱いていた感覚が払しょくされましたね。
山本:その学校は設備が恵まれていました。
当時、日本の大学では一番窯も大きかったはずです。
大きいものも随分作りました。
色々な人々に聞きながら…
-:うつわ作りを始めるのは…?
山本:卒業後、清水焼団地の貸し工房で活動をしていた時です。
環境もあって、自然にうつわを作るような流れになっていました。
ただ、学生時代は食器をほとんど作っていなかったので、人の真似したり、先輩や先生、近所の親方に聞きに行ったり…
「こういうの作りたいんですけど、どうしたらいいんですか」って。
色々な答えの中から自分に合うやり方を選んできました。
本当、色々な人のお世話になっています。
京都の人たちだけでもありませんでしたので、多分ロクロも、京都の引き方ではないと思います。
-:テーマが発生するごとに解決していった感じですね。
山本:今も変わりません。
そういうことを、かれこれ25年続けています(笑)。
最初から最後まで
-:そうやって現在に至るわけです。
山本:考えてみれば、うつわ作りは自分に合っているんだと思います。
プロダクトデザインにしても、最初から最後まで関わることはないですよね。
色々な人々が関わって、だんだん最初のものが薄れてくるというか。
焼き物は最初から最後まで自分ですから。
-:そうですね。
山本:それと、20代の頃、料理屋さんに使ってもらうイベントがあって、コース丸ごと、10品分のうつわを用意することになりました。
流れを考えて、ストーリーを作って、うつわのサイズや色味、テイストを構成していかなければならないことがあって、とても面白かったんです。
そういうものもうつわに没頭するチャンスになっていったと思います。
極々当たり前のことばかり
-:山本さんがモノ作りをする上で、大事にされていることはどのようなことですか。
山本:いまのイベントの話と一緒ですが、全体のバランスや流れです。
個々には、サイズ、重さ、それとスタッキング等々。
極々当たり前のことだけです、僕の場合。
-:これらは見た目にも影響してくることにもなるので、機能だけの話でもないですね。
山本:スタッキングも、重ねられればそれでいいわけではなく、重ねたときの景色も大事ですよね。
料理屋さんなんかでも、お客さんから見えるところに食器が置いてあることも多いので。
-:山本さん、今は炭化、鉄釉、粉引、焼締、銀彩などに取り組まれています。
色々ありますが、どれも表に出過ぎない色調で、料理が引き立ちます。
つくりはシャープで、装飾をあまり加えず、磁器に近いような気がします。
山本:どしっとしているものよりは、そういうもののほうが好きです。
やり取りの中から感覚を
-:山本さんは、料理屋さん、特に京都の料理人の方々とのやり取りを多く重ねて仕事を進めてこられました。
山本:特に最初の頃は「このパターンで、このサイズの板皿を作ってくれないか」という類の話を沢山受けていた覚えがあります。
-:どれくらいの単位なのでしょうか。
山本:ミリ単位です。
あとは深さ、角度、口当たりあたり。
緊張感と安心感のバランスなんかも…。
そうやっているうちに、自然と使いやすいものの感覚は身についてきたのかなとは思います。
白磁
-:今後やっていきたいことはありますか。
山本:例えば、白磁…。
-:いいですね!しっくりきそうです。
山本:白磁って、単に「色が白い磁器」なわけではないじゃないですか。
そぎ落とされた末のもの、染み出てくるような品格のようなもの…というか。
出そうと思って出せるものでもないし。
これからも経験を積んで、白磁を作った時にそういうものができてくればいいなと思います。
-:展示会に向けて、お願いします。
山本:僕は、黒いうつわをよく作ります。
一見敬遠されることもあるのですが、実はとても使いやすいです。
-:一回使ってみると分かりますね。
山本:そういう感じです。
-:有難うございました。